カウセリングコース 受講感想文
カウセリングコースを受講してわかったことは、自分が主役でなくて、相手を主役に置くことである。
しかし、世間にはいろんな人がいて、いろんな悩みを抱えている人がいる。
他人から見たら、些細なことでも、本人は悩んでる場合もある。
そういった人は、いわゆるそれが原因で、いじめを受けたとか、金銭的損失になる場合が多い。
たとえば、私は少々太り気味であり、過食症と拒食症を繰り返してる女性がいる。
他人から見たら、太ってもいないのに、本人は気にしている。
聞いてみると、その人はモデル志願で、太った時点でモデルにはなれないと思い込んでいる。
しかし、一応、話を聞くだけで、本人は救われるケースが多い。
もちろん、私は、その人にモデルの仕事やプロダクションを紹介するわけにはいかないが、自分という人間を受け入れてくれるという人や場所があるだけで、人間は生きていけるものだ。
人間の愛は条件付きの愛だという。
愛には、フィリオの愛ー友情や兄弟愛のように、ギブ&テイクの関係。もちろんギブ&ギブにはならないし、テイク&テイクというわけにはいかない。
ステルゲーの愛ー親子間の愛であるが、他人同士には通用しない。
エロスの愛ー男女間、異性間の愛。いわゆるエッチ系ではない。
しかし、カウセリングは、アガぺーの愛ー与える愛の精神でないと、成り立たない。
自分が正しい、自分の欲望や価値観を他人に押し付けたり、他人を矯正させるのではなく、自分が相手を理解し、相手の力になろうとすることだ。
これは、自己中心やエゴイズムではなく、神に自分を委ねなければ、成り立たない。
自分の力で相手を理解するのではなくて、神の力がなければ、実現しない。
‘自己保身を考えるものは、大切な命を滅ぼし、私(神)の為に、自己犠牲するものは、永遠の命を得るであろう’
(聖書)
しかし、人によっては、世間的にはよくない悩みを抱えてる人も多い。
風俗通いが辞められない。
これを聞いただけで、いやな顔をする女性もいるだろう。
男性の中にも、エイズ持ちではないかと、不信な目でみる人もいるだろう。
しかし、頭ごなしに見下げるような眼で見るのは、間違ってるだろう。
もちろん、私は風俗に行ったことはないが、やはり、その男性は、淋しいものがあるのかもしれない。
女性に裏切られたり、騙されたり、また、女性に下手に出て、機嫌をとるような営業職の男性かもしれない。
そんな男性が、心の傷をいやしに行って、女性にサービスを受ける。
こう考えれば、相手を見る目も変わってくると思う。
たまたまその男性の場合が、場所が風俗であるというだけで、人によると、ギャンブルだったり、酒だったり、買い物だったりする場合が、多々ある。
ただ、それで、心の傷を埋められるとは限らない。
そのときだけは、癒されても、それにはまってしまい、サラ金で借金するなんてこともありうる。
いや、そんな人にこそ、キリストを伝えなければならないのかもしれない。
悪い方向へと、堕ちていく前に、伝える必要がある。
人間、上がるのはしんどいが、堕ちていくのはあっという間だ。
私の見てきた限り、キリストを知らない人は、どんなに社会的に成功しても、ギャンブルなど、何かの奴隷になっている。
‘神を知らない人は、何かの奴隷になっている’(聖書)
キリスト教精神を持ち、相手の目線にたって、相手の立場になろうとする。
解決の道をつくってくれるのは、人ではなく、神である。
カウンセラーは、その橋渡しをするだけであると思っている。
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