この世にたか子さえ、いなければ。
いや、たか子のような女さえいなければ、私はもっと幸せに生きることのできたはずだ。
私はたか子を憎むことで、新たなエネルギーを得ていた。
そんなことは、罰当たりのお門違いであるということは、百も承知のはずだ。
しかし、私にはそれしか、方法はないのだ。
徐々に衰えていく肉体と精神。
まるで、坂道を転がり落ちるように、疲労にたまった身体は、とどまるところを知らない。
ある日、私はなんと朝九時から、晩十一時まで、残業をやらされた。
たぶん、たか子のせいだ。
そうに違いない。
私はたか子に、口汚くののしった。
まわりのバイト仲間は、ポカンと口を開け、まるで珍獣を見るような目で私から目を伏せている。
やはり、私はこういう職業には向いていないらしい。
ここは、私の住む場所ではないのだろうか。
とうとう私は病気になってしまった。
一度風邪をひいてしまったら、もう治らない。
せきばかりして、苦しくて仕方がない。
しかし、負けるものか。
私は、このラーメン屋で居座っている。
ここしか私の幸せの道はない。
いずれは、息子も呼び寄せて、将来は居酒屋を開店するんだ。
私はたか子に注文をつけることにした。
本来は、筋違いであるということは、わかっていても、私には人に嫌味を言って、傷つける以外、生き残る方法は残されていないのだ。
「あんたは、いつも私の言う通り、荷物運びをしてくれたことがないじゃないの」
たか子は、怪訝な顔をして、ニヤリと不適な笑顔を浮かべた。
「あのう、なにか勘違いなさってません?」
勘違い? それどういうこと?
「私がいままでやってた荷物運びは、みなあなたの仕事なんですよ。野菜を運ぶのも、肉を運ぶのも、氷を製氷皿から入れて運ぶのも、みんなあなたがする仕事なんですよ」
えっ、まさか? そんな馬鹿な・・・
「今まで、私は一生懸命仕込みをしてきた。一分でも手を休めたことがあったか?」
たか子は、半ばあきれたような薄ら笑いを浮かべた。
「そんなこと、私に言われても知りませんよ。店長が決めたことなんだから、文句があるなら店長にどうぞ。私は店長の命令で、今までずっとあなたの尻ぬぐいをしてあげてたんですよ」
相変わらず、理論的で丁寧な言葉遣い。
決して、私の真似できない世界である。
やっぱり、この女にはかないそうにない。
もしかして、たか子は、人の好い女なのかもしれない。
だって、自分の仕事以外に、私の尻ぬぐいまでさせられてるんだから。
しかも、文句ひとつ言わず、私に嫌味を言われても動じることなく。
たか子のような女こそが、強く生き残っていく女なのかもしれない。
しかし、これでは負けを認めることになる。
私は若くないし、もう人生に希望もない。
やっぱり、私の住む場所はこのラーメン屋ではなかったようだ。
驚愕と自分に対する劣等感、そしてたか子に対する嫉妬の感情がむらむらと湧きあがった。
しかし、それは、また元の世界へと堕ちていく、絶望の序章でもあった。
「なによ。あんたなんか、私よりちょっとばかり、身体が大きくて、ときどき、指を震わせて、気味が悪いのよ」
罵倒したあとでは、ちょっぴり後悔が残った。
やっぱり、私の住む場所は、このラーメン屋ではないということを、痛感させられた。
私は、店長に逆らって解雇され、もとの風俗稼業に戻ることになった。
あーあ、あのとき、もっとたか子にとり入って、たか子の機嫌でもとっとけばよかった。
良くも悪くも正直さだけが、私の取り柄。
それが裏目に出た。
たか子は、私の敵ではなくて、私の味方だったことに気がついたときは、もう後の祭り。
私はもう、二度ともとに戻れない別世界の人間なんだ。
もう一度、たか子のような女に会えるだろうか?
わからない。
それより、日々狂っていく頭をなんとか、正常に戻さなきゃ。
私の行くべきところは、どこなんだろうか?
神のみぞ知る運命でしかない。
苦しいときの神頼み、いやたか子頼み。
たか子、もう一度私のそばにいて、私を助けて。
そして、私と人生、入れ替わろうよ。
嗚呼 人生の下り坂・・・
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